金属片やむなし

君の影を踏みに。

カフカ「変身」に勝手な注釈をつけてみた

表題の通りです。

なおテキストは青空文庫よりお借りしました。

 

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ある朝、グレゴール・ザムザ(※1)が気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。彼は甲殻(※2)のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。ふだんの大きさ(※3)に比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。

 

 

※1 本作の主人公。毒虫になってしまった氏の女体化が待たれる。

※2 から。カニの甲殻は砕いて炙ってから油に浸漬して80℃で一晩抽出すると良質なカニ油になる

※3 当社比

 

 

「おれはどうしたのだろう?」と、彼は思った。夢ではなかった。自分の部屋、少し小さすぎるがまともな部屋が、よく知っている四つの壁のあいだにあった。テーブルの上には布地の見本が包みをといて拡げられていたが──ザムザは旅廻りのセールスマンだった──、そのテーブルの上方の壁には写真(※4)がかかっている。それは彼がついさきごろあるグラフ雑誌から切り取り、きれいな金ぶちの額に入れたものだった。写っているのは一人の婦人で、毛皮の帽子と毛皮のえり巻とをつけ、身体をきちんと起こし、肘まですっぽり隠れてしまう重そうな毛皮のマフを、見る者のほうに向ってかかげていた(※5)。

 

 

※4 昔の人は写真を撮られると魂が抜ける

と信じていた。昔の人は心配性だったのだなあ。

※5 「毛皮づくし」なのか「毛皮ざんまい」であるのか論が分かれる。なおザムザが甲殻を纏っているのと対照させている模様。

 

 

 グレゴールの視線はつぎに窓(※6)へ向けられた。陰鬱な天気は──雨だれ(※7)が窓わくのブリキ(※8)を打っている音が聞こえた──彼をすっかり憂鬱にした。「もう少し眠りつづけて、ばかばかしいことはみんな忘れてしまったら、どうだろう」と、考えたが、全然そうはいかなかった。というのは、彼は右下で眠る習慣だったが、この今の状態ではそういう姿勢を取ることはできない。いくら力をこめて右下になろうとしても、いつでも仰向けの姿勢にもどってしまうのだ。百回もそれを試み、両眼を閉じて(※9)自分のもぞもぞ動いているたくさんの脚を見ないでもすむようにしていたが、わき腹にこれまでまだ感じたことのないような軽い鈍痛を感じ始めたときに、やっとそんなことをやるのはやめた。

 

 

※6 当時はまだWindowsがなかったので、これは含むところのない文字通りの窓である。

※7 類似のものに「秘伝のタレ」があるが、こないだ「hiddenのタレ」というダジャレを思いついた。

※8 映画「ブリキの太鼓」には池に牛の頭を沈めてウナギを獲るシーンが登場する。あれを日本人全員に見せたらウナギの消費量は激減するとおもう。

※9 一般的な昆虫にまぶたはない。

 

 

「ああ、なんという骨(※10)の折れる職業をおれは選んでしまったんだろう」と、彼は思った。「毎日、毎日、旅に出ているのだ。自分の土地での本来の商売(※11)におけるよりも、商売上の神経の疲れはずっと大きいし、その上、旅の苦労というものがかかっている。汽車の乗換え連絡、不規則で粗末な食事、たえず相手が変って長つづきせず、けっして心からうちとけ合うようなことのない人づき合い(※12)。まったくいまいましいことだ!」

 

 

※10 一般的な昆虫に骨はない。

※11 あきない。短く持ってコツコツと。

※12 交際。トテモむつかしいもののひとつ。

 

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なんか思ってたより上手くいかない。というかオチが付けられなかった。まあ遊びとしてはアリな気がするので今度はもっと上手くやります。

Cat walk

自分でできることは、自分でやればいい。

たいがいのことはトライ&エラーを繰り返せばできるようになるし、やってみることで見えてくるものは多い。

昼休み、昼食を摂るための店を物色していると、ふと「猫が人間になったらどう歩くのだろう?」と疑問におもった。

自分でできることは、自分でやればいい。

やってみよう。

猫の歩みは、人間よりもサスペンションがやわらかい感じだ。足首とか膝をやわらかくしてみる。

猫が人間になったら、きっと猫であったクセが抜けないだろう。すなわち前脚であった肩も連動してしまうに違いない。ちょっと肩を揺らすように歩こう。そうすると腰を回転させる必要が出てくるな。でも頭は動かないように。こんな感じか。

おれの中でどんどん完成度が高まっていく。自分の身体感覚を普段の「人間のつもりであるところの人間」から「猫が人間になったなにか」にシフトチェンジする。いつもより肉体を意識するようになる。これだ。

おれは「人間になった猫」のように歩いているのだけど、きっと道ゆく人たちはそれに気づいていない。「なんか妙な歩きかたをしているバカがいるな」くらいに思うのが関の山であろう。ひそやかな愉悦がここにある。

……ふふふ、おれは今「人間になった猫」のつもりで歩いているのだ。君たちは知らないだろうけど。

ファッションショーなんかでモデルが歩く花道を英語でCat walkと言う。モデル歩きが猫っぽいかというとそうでもない。

自分でできることは、自分でやればいい。

やったからといって何かの役にたつわけではない。

……おれは一体なにをしているのか。

記憶

理不尽なぞなぞ。

「パンはパンでも食べられないパンは残飯だけど今からお前をフライパンで殴りますね」

Twitterでは「〜けど今からお前を◯す」って書いたんだけど、「◯す」はちょっと強すぎるな、と思ったのでついでにもう一段理不尽さを足してみました。どうでしょう。

理不尽なぞなぞ2。

「上は洪水、下は大火事。……自力でがんばれ❤️」

理不尽ですなあ。

これまだまだ掘れそうなので、また思いついたら書きます。

ってかさ、従姉妹の娘が「なぞなぞハンドブック」からなぞなぞを出題して「なーんだ?」「(考えて)……◯◯?」「次のもんだーい!」って正解を教えてくれないなぞなぞを延々と続けるの、すげえ理不尽です。

同僚の人が辞めました。

とても優秀な技術者でしたが、マネジメントをやりたい、と。今の会社じゃ実現できないので他へ移るというお話で。

思えば彼には数かぎりない嘘をついてきました。素直な性格でおれの言うことをいちいち信じる、ですが嘘ばかり吐いていたらだんだん疑うようになってきて、本当のことを言っても苦笑いを浮かべて「あー、そうなんですねー」とニコニコしているのがとても楽しかった。

1年くらいネタばらしをしなかったこととかもありました。1年寝かせた嘘をネタばらしするときの快感ったらないです。「……えっ!」なんて呆然とする彼の顔をおれは忘れないでしょう。

今日が最終出社日だったので挨拶をしました。

「さっき理不尽なぞなぞってのを思いついたんですけど」

「ハイ」

「パンはパンでも食べられないパンは残飯だけど今からお前をフライパンで殴りますね」

「たまらなく理不尽ですねw」

「お世話になりました。また雑な嘘を吐かれたくなったらいつでもご連絡ください」

「そっか、ぐるぐるさんには騙されっぱなしだったことありますもんね」

おれは彼の中で嘘つきキャラであっただろうと思うので、最後までそうあるようにしました。

新天地でのご活躍をお祈りいたしております。

……まだバラしてないのがあるって言ったらどうします?

Colours

さすがにブログのトップにド下ネタのエントリが表示されてるのもどうかと思うので何か書きたいのだけどとくに書くようなことも浮かばないのでとりあえず勢いだけで書いてみようとおもう。

誤解してほしくないのだが、おれは元々下ネタを書くような人間ではない(真顔で)。どちらかというとブラックジョークとかホラーがかったコメディとか、そっち方面を好んで書いていた。

それがなぜこんな下ネタだらけのブログになってしまったのか。それはブラックジョークを封印したからだ。

ブラックな笑いというのは同質性が担保されていないと成立しない、というのは先のシャルリー・エブドの例を引かずともご理解いただけよう。もっと言うならば、ある程度無邪気でいられないとできないのだ。おれは色々な立場の人がいることを知りすぎてしまって、もうブラックジョークはやれない。おれは大人になってしまったのだ。

昨今、ポリティカルコレクトネスが叫ばれる機会が増えてきた。ちょっとでもうかつなことを言うとSJW(Social Justice Warrior)から手斧が飛んでくる。おれはこの風潮を健全だとは思っていない。なぜならSJWの手斧はマウンティング欲求の発露であることがままあるからである。正しさで人を殴る人たちを、おれは信用しない。

おれがブラックジョークを封印したのは、断じてポリコレに配慮してのことではない。ただいろんな人の顔が浮かぶようになったからだ。世界がなだらかなグラデーションを描いていることを知ってしまったからだ。だからもうおれはオリジナルの✖️✖️✖️✖️✖️スタンプを作ったりしないし、✖️✖️✖️✖️の✖️✖️✖️を書いたりしない。ましてや✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️✖️なんて書けるはずもない。

おれは大人になってしまったのだ。他人の痛みを知る大人になってしまった。

……そう、気がつけばうんこの話を書く大人に。

括約筋のケアレスミスみたいなやつに名前を付けたい


はてななんぞやってると「漏らした」増田ばかり見かける。しかしたまに「それはちょっとどうなの?」と思うことがあるので一石を投じたい。

我慢を重ねて極限状態になることがあるだろう。
「ちょっと行きたいかも。でもここウォシュレットないからなー」から始まり(この時点で明らかに判断を間違えている)、「あれ、ヤバいかも。この先にコンビニあったよな」だんだん嫌な汗が浮かんでくる。「あと少し、あと少しだから」と自分を励ましながら少し変な歩き方でようやっとたどり着いたセブン、トイレの扉がない。「当店ではトイレはお貸ししておりません」の貼り紙。ちゃんと返すから貸してくれませんか?
……まだだ! まだ戦える! 脳内コンビニマップを検索、「近くて便利セブンイレブン」この時ほどセブンの集中出店戦略をありがたく感じたことはない。捨てるセブンあれば拾うセブンあり。普段は意識することのない腸が蠕動しているのを実感しながら次のセブンを目指す。1メートルが10メートルほどに感じられ、視界に次のセブンが入ってきたときは「希望を捨てないぞ!」という強い感情が湧いた。無人島に漂着した人が船影を見つけたときってこうなんだろう。
脂汗をダラダラと流しながらヒョコヒョコと奇妙な格好で歩き、「あとちょっと、あとちょっとだから」と念仏のように唱える。ようやっと入店、ここはトイレ貸してくれるよね、と祈るように視線を壁に這わせる。あった! トイレだ! 僕らの希望だ!
しかし入り口からトイレまでが長い。1メートルが20メートルほどに感じられ、それに変な歩き方を店員さんに見られるのも恥ずかしい。しかしあとちょっとなのだ、あとちょっと我慢すれば漏らさなくて済むのだ! ほら、あと3メートル……。

赤い。赤いあかいあかい。ドアノブの下が赤い。一瞬崩れ落ちそうになる。頭の中でベートーベンの「運命」が高らかに鳴り始める。ベタだろうがなんだろうがそうなんだからしかたがない。「掴んだ理性を絶対に離すな!」そうだ理性だ、判断をしなければ。トイレが使用中の場合、出てくるまでの時間が読めない。ここは撤退か、しかし次のコンビニまで持ちそうにない。しかし待ちきれなかったら、ここで、コンビニの中で醜態を晒すことになる。でも待つしかない、神よ!

……幸いそれほど待たされることなくドアが開いた。こっちはもう足踏みしたり顔を真っ青にしたりで爆発寸前である。ここで気を抜いてはいけない、張りつめた気はゴール寸前で緩むものだ。ゴールしなければこれまでの苦労は水泡と帰してしまう。
「あとちょっと!」ドアを開け、便座の蓋を開ける。「あとちょっと!」ベルトを緩め、パンツを下ろす。「あとちょっと!」理性と肉体のギリギリのせめぎ合い、爆発寸前の格納容器はもうメルトダウン寸前!(我慢しすぎて言語感覚まで狂ってきている)そして便座に尻が触れたか否かのタイミングでの放便!

……やった、なんとか勝った!

あまりにも辛い戦いであった、だが勝った。おれは勝利したのだ!
……圧倒的な安堵感と達成感。おれは許されたのだ、人間としての尊厳を守りきった。やり遂げた自分を褒めてあげたい。というか褒めましょう。こんなときくらい自分を褒めなくていつ褒めるんです?

これがですね、この圧倒的なこれがですね、「漏らした」ときにはこのまんまのパワーで襲い掛かってくるんですよ。さっきまでのは「漏らさなかった世界」でのお話なんです。


……圧倒的な敗北感。人格の否定、尊厳の否定。普段さんざえらそうなこと言ってるくせに漏らしちゃうんだもんな。人間なんて一皮むけばこんなもんですよ。だらしねえ。

でも同時に奇妙な安堵感もあるんです。「もう戦わなくていいんだ」って。
……おれは戦争を知らないけど、戦争に負けるってきっとこういうことなんです。おれはフィギュアを知らないけど、引退を決意した浅田真央選手もきっとこんな気持ちだったはずです。今のおれは浅田選手みたいにみんなに勇気をあげられてるはずなんです。

たまに「おならだと思ったのに」みたいなのを「漏らした」って言う人がいますが、そんな括約筋のケアレスミスみたいなものを「漏らした」だなんて言ってほしくない。「漏らす」ことができるのは戦い抜いた者だけなんです。必死で努力と研鑽を重ね、戦ってたたかってたたかった、その結果「漏らす」んです。たまたまトリプルアクセル跳べたからって浅田選手と比べるなんていくらなんでも失礼じゃないですか!

漏らしたことのない者は幸いである。
しかし人間には、何かを諦めなければいけない瞬間がある。両手で抱えられる以上のものを持つことはできないのだから、何かひとつを選んだときには、何かひとつを諦めて手放す。これを繰り返して人はおとなになっていく。諦めて手放したときの小さな胸の痛みは、やがてかさぶたになって君の心を強くしていく。

漏らしたことのない者は幸いである。
しかし待ってほしい、君はおくびょうなだけではないか? 戦うことを恐れ、正面から向き合うことから逃げてはいないか。どこか人生を達観した気になって、冷めたフリをしてごまかしていないか。アホロートルのように幼生のまま成長してしまったことを後悔していないか。ちょっとでも気を抜くと心が熱い戦いを求めて暴れだそうとするのを、無理に抑えこんでいるのではないか。本当は「自分だって戦える」って叫びたいんだ!


……君の括約に期待している。


※ うんこの話です。
※ 「放便」って造語のつもりだったのですが、本来はトイレ以外の場所でするという意味らしいです。
※ 浅田選手には全力で謝罪します。本当にごめんなさい。

※ 「ケアレスミスみたいなやつ」、「ひやかす」ではどうか。「うんこひやかした」。どうか。

バラバラバラ

来訪中国人観光客が増えて、中国語を耳にする機会が多くなった。っつーか街を歩いてると中国語ばかり聞こえてくる。こんだけ聞いてたらそろそろ中国語を理解できるようになってもおかしくなさそうなのだが、なぜか理解できない。なぜなのか。もしかしてスピードラーニングって嘘なんですか(棒

文章書くのたのしいですか、と言われるとそんなに楽しくはないです。どちらかと言うと苦行に近いのですが、読んでいただけると励みになります。

人を騙す文章を書いていきたいんです。お前らはおれに騙されればいいです。わかりづらいネタを、できるだけわかりやすく書いてるつもりです。木を隠すならモリモリがんばっていきましょう。

エントリのタイトルって適当に付けてます。こないだ「two tails」ってタイトルで書きましたが、エントリの内容から「似ている」➡︎「2テイル」➡︎「two tails」というダジャレです。それくらいフワフワしてます。

ちょっとだけ素直になってみました。これからもお前らを騙すテキストを書いていこうと思います。付き合ってくれるとうれしい。

数字苦手なんだけどね

昨日のは酔って書いたので詰めが甘い。ざっくり10000人に1人がアイドル、という数字まで出したけど、もうちょっと。ドルオタが人類の1%だと仮定すると、アイドル1人あたり100人のオタクがつくことになる。矢野経済研究所の発表によれば1人のドルオタが年間に消費するのは平均8万円とのことなので、事務所に5割持ってかれるとしてアイドルの年収は400万円ということになる。これはあくまでも平均値なのだけど、なかなか現実的な数字じゃないか。アイドルに限らずワナビ系の職業はピンキリなので収入には莫大な差があることに注意が必要なのだけど、「年収400万」って妙なリアリティがないか。月収33万、わあ生ぐさい!!

っていうかこの数字がどこまで妥当であるかはともかく、何がすごいって「人類の1%はドルオタ」と適当にぶち上げた数字がそこまで外してないっぽいことだ。これ本来なら逆に計算して辻褄あわせるタイプの数字だぞ(信頼できない話者)。

それにしても1%か。群衆に向かって100回石を投げたら1回はドルオタにぶつかる計算だけど腕が疲れるからやめておいたほうがいい。っていうか人に石を投げてはいけない。そんなことをしたらおそらくなんらかの罪で捕まる。石を投げたつもりが人生を投げ出すことになるぞ。それを100回もだなんて、弁護士も匙を投げるに違いない。

ちなみに「100回石を投げたら1回はドルオタにぶつかる計算」って嘘だかんね。完全確率だから100回投げたときに1回以上ドルオタにぶつかる確率は約64%、嘘だと思うなら実際にやってみればいい。

あなたがたのうち罪のないものだけが石を投げなさい。