金属片やむなし

君の影を踏みに。

近況

さんざっぱら「繊細」「乙女」などといじられた訳ですが、そのへんは「いじらせるように」仕向けてるんです。

お察しのこととは思いますが、先だってよりとある女性とお付き合いさせていただいております。ちょっと特殊な関係ですので色々と言われることもありましょうが、とても仲良くさせていただいています。

っていうのをブログみたいなとこに書くのは得策ではないです。恋はいずれ終わるものですし、こじらせたりもします。黒歴史ログになるだろう、との予感は拭えません。

でも、それでも。

恋に浮かれてとかじゃなく、あなたが少しでも安寧を得られるなら、との思いでここに記したいのです。

嘘ばっか言ってるおれですけど、あなたのことは本当に大切にしたいです。まだまだたくさん話さなきゃいけないことがある。

良くも悪くも臆病者どうしのお付き合いです。そんで、おれは、それをとても気に入ってます。

ぼくに彼女ができたんだ。

For Seasons

春が過ぎて梅雨入りする前の暑い季節を「前期夏」、梅雨が明けてからを「夏(第2シーズン)」とすればいいんじゃねえか、と思っていたのですが、


春 前夏 後夏 秋 冬


とすると古代中国の王朝みたいになることに気がつきました。季節みたいに歴史は繰り返すのですね(ドヤ)。


もし地球の回転が逆だったら季節も逆転するはずです。春夏秋冬が春冬秋夏に。でも本当にそうでしょうか。

地軸の傾きにより暑い季節(夏)と寒い季節(冬)が生まれます。その合間に中間の季節があります。寒い冬を越え、いきものたちが芽吹く季節を春と呼び、盛夏に生命力を蓄えたものたちが実を結ぶ季節を秋と呼んでいるだけで、春と秋とは同じものと言えるかもしれません。ですから地球が逆転することがあっても、春夏秋冬は春夏秋冬なのです。っていうかそもそも地球は逆転しません。ご安心ください。


ぼんやりと生きておりますと、なかなか季節に気づくことがありません。いつも移ろいゆくときに「ああ、夏が終わってしまった」と終わりにだけ気が回ってしまって、「秋がきた」と思うことがないのです。ほらロックスターが死ぬと伝説になるじゃないですか、あんな感じ。

なくしてみて初めてその価値に気付く、ってのもちょっとボンクラすぎる気がするので、もうちょっと今を楽しみたいと思うこのごろです。


っつーか今って春なの? 夏なの?(ボンクラ)

Hop Step DIVE

「お酢」とも「お醤油」とも言うのに「お酢醤油」って言わないよね。「お味噌」って言うけど「お酢味噌」とは言わない。

(黙考中)

……じゃあ「おソイソース」って言えばいいじゃん!

思考の過程を省いてみました。取っ掛かりとオチだけはあるので各自お考えください。

Wednesday

西洋で13という数字が忌避されるのは、最後の晩餐がキリストとユダを含めて13人だったからだともいうし、絞首台への階段が13段だからだともいう。ロバート・プラントが歌う「天国への階段」はいったい何段なのだろう。

絞首台の階段を1300段にしてみたらどうだろう。一般的には1フロアあたり23段だからおよそ56階ぶん、だいたいサンシャイン60を登りきるくらい。

「やった、ついに登頂したぞ」という達成感と共に死ぬことになる。

死刑囚に刑の執行直前に長い階段を登らせることは非人道的であるとの批判は出てくるだろうが、プチ達成感を与えるのはある意味尊厳の回復ではないか。

乱暴なことを書いている自覚はある。「思考実験だから」と言い訳をする気もない。

これを書いてたら、有線から「天国への階段」が流れてきた。偶然ってあるよね!

RE-LIFE

昨晩は知り合いとその飲み友達と飲んでいたのだが、おれは「そうとう訳のわからないこと」を言っていた。自分でも言っていることがおかしいのがよくわかる。いや、おれ自身がどうかしているのであって、言っていることはそれなりに筋がと通っているはずだ。ただそれをわかっているのはおれだけなので、聞いているほうは「何を言っているんだお前は」状態であったと思う。


今日、どこにも出すあてのない文章を延々と書いて、わりと整理できた。おれが内面化していた「おっさん」スティグマは思っていたよりも根深くて、「どうせこのまま死ぬのだろう」と色々なことを放置してきた。雑な生き方を続けて自分を毀損してきた。少しずつ片付けていかなきゃならない。


若いころ、おれは変人になりたかった。他人と違うことが自分の価値になると思っている「ごく普通の」若者だった。

でも「おっさん」を内面化してからはずっと、「普通」でありたかった。「普通」であろうと努めてきた。でも結局のところ、おれは全然「普通」じゃなかった。自分で言うのもアレなのだけど、いつのまにかすげえ変人になっていた。こんな味の濃いおっさんってなかなかいないぞ。これはもうどうしようもないので、これからは変人として生きていくことにする。


ここ数日で怒涛のような意識変革が続いている。


いま一度、生き直そうとおもう。

おっさんという呪い

自分がおっさんであるということを内面化しすぎていたかもしれない。


世間におけるおっさんのイメージって良くないだろう。キモくて臭い、みっともない、いやらしい。まあ言ってしまえばスティグマなのだけど、いつのまにかおれもそう考えるようになっていて、電車で女子高生が隣に座ってくると「あー、まだそこまでキモくないのかも。よかった」と少し安心するようになっていたのであった。


この呪いというのはわりと強烈で、いつか自分も電車で痴漢の疑いをかけられて線路を走って逃げた挙句に転落して死ぬのだろうな、という気がしていた。冷静に考えてみればそんな奴は例外中の例外で、そもそもおれに痴漢願望は今のところない。何か脳に障害が発生すればあるようになるかもしれない。この「脳に障害が発生すれば」というのも強烈で、アルツハイマーなどでアニマル化する老人の話なんぞ聞いていると明日は我が身か、と空恐ろしくなる。


スティグマこええな。

っつーかおれはおっさんではあるのだけど、かなり特殊なおっさんだ。それを忘れていた。

たぶんおれはそのへんの若者より頭の回転が速いし、文化的で豆知識が豊富だし、トークスキルもある。それにメガネだってかけてる。けっこういいとこあるんですおれ。悪いとこもいっぱいあるけど。


おれが内面化してたのは「オヤジ化したおっさん」だったんだな。これって年齢あんま関係なくて、なる奴はもう20代でもおっさんくさい振る舞いをする。身内にそういう人間がいて、昔からオヤジギャグに関して天才的であった。オヤジギャグというのはオヤジくさい視点から発想することが重要で、くだらなくてエロくなければならない。おれは彼の発するオヤジギャグに「うわそれ女子いる前で言うか」とドン引きしながらもここまでくれば才能だよなあ、と感心したものだ。(ちなみにオヤジギャグに対しては「黙れ」「死ね」「地獄に落ちろ」などと食い気味につっこむのが正しい)


年齢を重ねるにつけどうしても体力や肉体に衰えはくる。年を取ったな、という実感を「自分がオヤジ化した」と重ねていたのだろう。確かにおれはおっさんだけど、それ以前におれというアクの強いキャラクターだったのだ。


先日某所で「おっさん勘違いするな」と盛大に叩かれた。おっさんはじめての炎上。それもこれもおれがおっさんだからで、おれが若かったら叩かれてないはず、でもねえか。男ってだけで叩かれてたかもしれない。あいつらなんでも叩くからな。

っつーかコメントがどれもこれも的外れで、意外にも全然ダメージがなかった。みなさんおれじゃなくて「自分の中の何か」を必死で叩いているように見えて、全然叩かれてる気がしなかったのだ。まあ炎上すると的外れなのがS/N比で増えるのだろう。そびえ立つ「知らんがな」の山。


おれの他にも「おっさんだから」という理由で肩身の狭い思いをして生きているおっさんもたくさんいると思う。まあ助ける義理はないので特に言うこともない。おっさんは自分でがんばれ。


気がつけば随分とおっさんをこじらせていた。しかしこうして文章にすることでリカバリできた。気がつくきっかけをくれた友人に感謝したい。


っつーかおっさんになってまで「僕はここにいてもいいんだ!」ってシンジ君かよ。エヴァなんてもう20年前だぞ。そりゃおれもおっさんになるわ(以下ループ)

夕方の中野にて。

嫌いなものについては書かないようにしている。不毛だから。というか何かを嫌うというのもエネルギーを使うので、そんな暇があったら何かを好きでいるほうがいい。



で、好きなものがあるというのはいいことだなあ、と。どうした新しく宗教でも始めたか、という声が聞こえてきそうだが、そうではない。



先日、ともだちができた。

COALTAR OF THE DEEPERSとと24年組の話ができるともだちだ。フリッパーズPEOPLE IN THE BOXもイケる。これまでの人生でそんな奴はいなかったので、話していてトテモ楽しかったのだ。ああ好きなものについて話すのってこんな楽しかったっけ、と新鮮な気分になった。



そんなのインターネットにいくらでもいるだろう、とおっしゃる向きもあるかもしれない。ダメなんだよそれが。バンドマンは人間で、かつ人前で活動するから、どうしてもモテる。ロックバンドにはグルーピーがいる。ネットで検索すると誰を食っただの堕胎させただの真贋交えてそういったノイズばかりがドロドロと渦巻いていて、そういったものを見るのは趣味ではない。

おれはミュージシャンの私生活には興味がないし、単純に作品だけを聴いていたいのだ。



そのともだちとはネットで知り合った。

インターネットの向こう側には人間がいる、という当たり前のことをおれは忘れかけていた。ネット上の「お前ら」はなんと個人の集合であったのだ!



なんで会おうと思ったのかを訊いた。「せっかくインターネットがあるのだから、いろいろな人と会ってみたい」みたいな答え。意識高いな!

危険ではないか、と訊くと「ちゃんと会う人は選んでいる」とのことだったが、ネット上のおれのことを「中性的な印象」とか言ってたので根本的に人を見る目がないのだとおもう。気をつけましょうね。



長いことインターネットに引きこもっていたが、こうやってネットで知り合った人と実際に会ってみて、そしたらちゃんと人間が出てきて、気が合って、という経験をして、あれこれって悪くないんじゃね? と思ってしまった。n=1の成功体験だけど、もうちょっと気軽になってみてもいいのかもしれない。