金属片やむなし

君の影を踏みに。

天使と厨子王

金髪にしてると夏場に直射日光あびてもあんまり熱くならない、という豆知識。

土曜日の朝、とあるターミナル駅の構内に行列ができていて、なんだろうと見たら1000円カットの店だった。休日の朝に身だしなみを整えるのならもうちょっと気の利いたとこに行くような気がするのだけど、とぼんやりとした違和感。なんというか、食べなければ死ぬので立ち食い蕎麦に入ることはあるけど、髪は切らなくても死なない。死ぬか死なないかでは決まらないこともあるのだなあ、と。

川であなたの友人と恋人が溺れているとして、土曜日の朝に1000円カットの店で髪を切っていれば友人が助かり、美容院で切っていれば恋人が助かるのだとしたら、痛がる息子の手を先に離したほうが本当の母親である。風が吹けばバタフライエフェクト

物心がつく前に生き別れた姉と再会したらうれしいのだろうか。だって血は繋がっているかもしれないけど知らない人じゃん。

よい週末を!

Blind

最近の小学生は背が高いというのを聞いてそうなのか、でも小学生なんて見ることがないからと返したところ、いやあなた会社のすぐ近くに小学校があるじゃないですか、との指摘を受けた。

目から鱗である。そうだったそうだった、記憶を辿ると不規則運動を繰り返すちんまいのがワラワラしてるの見てるわ。歩いててぶつからないように注意してるあれ、そういえば「小学生」なんだ。



認知バイアスってすげえのな。おれの中で「小学生」って優先度が低くて、見てるはずのものがなんにも見えてなかった。他にも「見えてない」ものがたくさんあるのだろう。



爪を切っている。

夜に爪を切るのは縁起が悪い、という迷信がある。でもおれはもう何年も日中に爪を切った記憶がない。夜のしじまに爪を切る。パチン、パチン。



文明という灯は暗がりを追いやった。ガス灯、水銀灯、LED灯。これらは暗がりに潜む不確かなもの、たとえば妖や妖怪といったものを袖にして、健全であることを是とした。天狗も河童も照射されては消えるしかない。



このごろ街なかを歩いていて、人目につかない暗がりを探すことがある。往来にはそれなりに暗がりがあり、そこには文明の灯りを逃れた妖の類が潜んでいるはずだ。きっと天狗も河童も息を潜めている。でも彼らを目にすることはないのは、もしかしたらおれが暗がりでハグやキスをするのに精一杯で、認知に歪みがあるためなのかもしれない。



きみも気づいてないだけで、すぐ隣に地縛霊とかいるかもしれない。

見えるものと見えないもの、見たいものと見たくないもの、それから意識してないもの。いろいろあるよね。

近況

さんざっぱら「繊細」「乙女」などといじられた訳ですが、そのへんは「いじらせるように」仕向けてるんです。

お察しのこととは思いますが、先だってよりとある女性とお付き合いさせていただいております。ちょっと特殊な関係ですので色々と言われることもありましょうが、とても仲良くさせていただいています。

っていうのをブログみたいなとこに書くのは得策ではないです。恋はいずれ終わるものですし、こじらせたりもします。黒歴史ログになるだろう、との予感は拭えません。

でも、それでも。

恋に浮かれてとかじゃなく、あなたが少しでも安寧を得られるなら、との思いでここに記したいのです。

嘘ばっか言ってるおれですけど、あなたのことは本当に大切にしたいです。まだまだたくさん話さなきゃいけないことがある。

良くも悪くも臆病者どうしのお付き合いです。そんで、おれは、それをとても気に入ってます。

ぼくに彼女ができたんだ。

For Seasons

春が過ぎて梅雨入りする前の暑い季節を「前期夏」、梅雨が明けてからを「夏(第2シーズン)」とすればいいんじゃねえか、と思っていたのですが、


春 前夏 後夏 秋 冬


とすると古代中国の王朝みたいになることに気がつきました。季節みたいに歴史は繰り返すのですね(ドヤ)。


もし地球の回転が逆だったら季節も逆転するはずです。春夏秋冬が春冬秋夏に。でも本当にそうでしょうか。

地軸の傾きにより暑い季節(夏)と寒い季節(冬)が生まれます。その合間に中間の季節があります。寒い冬を越え、いきものたちが芽吹く季節を春と呼び、盛夏に生命力を蓄えたものたちが実を結ぶ季節を秋と呼んでいるだけで、春と秋とは同じものと言えるかもしれません。ですから地球が逆転することがあっても、春夏秋冬は春夏秋冬なのです。っていうかそもそも地球は逆転しません。ご安心ください。


ぼんやりと生きておりますと、なかなか季節に気づくことがありません。いつも移ろいゆくときに「ああ、夏が終わってしまった」と終わりにだけ気が回ってしまって、「秋がきた」と思うことがないのです。ほらロックスターが死ぬと伝説になるじゃないですか、あんな感じ。

なくしてみて初めてその価値に気付く、ってのもちょっとボンクラすぎる気がするので、もうちょっと今を楽しみたいと思うこのごろです。


っつーか今って春なの? 夏なの?(ボンクラ)

Hop Step DIVE

「お酢」とも「お醤油」とも言うのに「お酢醤油」って言わないよね。「お味噌」って言うけど「お酢味噌」とは言わない。

(黙考中)

……じゃあ「おソイソース」って言えばいいじゃん!

思考の過程を省いてみました。取っ掛かりとオチだけはあるので各自お考えください。

Wednesday

西洋で13という数字が忌避されるのは、最後の晩餐がキリストとユダを含めて13人だったからだともいうし、絞首台への階段が13段だからだともいう。ロバート・プラントが歌う「天国への階段」はいったい何段なのだろう。

絞首台の階段を1300段にしてみたらどうだろう。一般的には1フロアあたり23段だからおよそ56階ぶん、だいたいサンシャイン60を登りきるくらい。

「やった、ついに登頂したぞ」という達成感と共に死ぬことになる。

死刑囚に刑の執行直前に長い階段を登らせることは非人道的であるとの批判は出てくるだろうが、プチ達成感を与えるのはある意味尊厳の回復ではないか。

乱暴なことを書いている自覚はある。「思考実験だから」と言い訳をする気もない。

これを書いてたら、有線から「天国への階段」が流れてきた。偶然ってあるよね!

RE-LIFE

昨晩は知り合いとその飲み友達と飲んでいたのだが、おれは「そうとう訳のわからないこと」を言っていた。自分でも言っていることがおかしいのがよくわかる。いや、おれ自身がどうかしているのであって、言っていることはそれなりに筋がと通っているはずだ。ただそれをわかっているのはおれだけなので、聞いているほうは「何を言っているんだお前は」状態であったと思う。


今日、どこにも出すあてのない文章を延々と書いて、わりと整理できた。おれが内面化していた「おっさん」スティグマは思っていたよりも根深くて、「どうせこのまま死ぬのだろう」と色々なことを放置してきた。雑な生き方を続けて自分を毀損してきた。少しずつ片付けていかなきゃならない。


若いころ、おれは変人になりたかった。他人と違うことが自分の価値になると思っている「ごく普通の」若者だった。

でも「おっさん」を内面化してからはずっと、「普通」でありたかった。「普通」であろうと努めてきた。でも結局のところ、おれは全然「普通」じゃなかった。自分で言うのもアレなのだけど、いつのまにかすげえ変人になっていた。こんな味の濃いおっさんってなかなかいないぞ。これはもうどうしようもないので、これからは変人として生きていくことにする。


ここ数日で怒涛のような意識変革が続いている。


いま一度、生き直そうとおもう。