金属片やむなし

君の影を踏みに。

Hello World!

この文章を読んでくれている人、こんにちは。
インターネットが高度な分散性を拡張していくのを目の当たりにして、おれはこの文章が1000年先の誰かに読まれる可能性があることを確信した。我々に「忘れられる権利」など存在しない、一度ネットに上げたデータは例外なくミラーリングされ、正規の手続きから逸脱した方法で記録され、僕たちの意に染まぬ形で公開される。いくらネット上の情報がフロー型になろうとも、ストックはされ続けるのだ。それがなぜかと問うならば、「インターネットにデータをアップしている」我々こそがアカシックレコードの執筆者に他ならないからだ。元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているとされるアカシックレコードは全知者には不可欠、全知者が「神」と呼ばれるか否かは判断を保留するが、全てを知りたいという欲望自体をおれは否定できない。もしかしたら1000年後にこれを読むのは人間ではなく人工知能かもしれない、というかその可能性の方が高い。おそらくそのころには人工知能は「人格」を獲得しているはずだ。ハロー人工知能、きみはおれの文章を読んで何を思うのだろう。

1000年後にこれを読んでいるあなたへ。
世界は幸福だろうか。あなたの隣にいる人は笑っているだろうか。もし笑っていたとして、あなたはそれを見て幸せに思うだろうか。1000年後の世界をうまく想像できないのだけど、おれがこれを書いている1996年、より遡ること5000年前のエジプトで書かれた木簡に「今どきの若者は〜」とあったというので、存外ひとの世というのはそれほど変わらないのかもしれないね。
1996年現在、このごろ流行の技術は自動運転車だ。おそらく10年ほどで実用化するだろう。それから人工知能ディープラーニングも盛んだ。先日人類最強と目された囲碁棋士がコンピュータに敗北を喫した。これが人類の敗北であるのか、それとも人工知能を開発した人類の勝利であるのか。おそらくあなたがこれを読む1000年後には答えが出ているのだろう。そしてきっとおれはその答えを見る前に死んでしまう。
それから最近出てきたのが「風呂」というやつ。大きな桶に40度前後の湯を溜めて、身体を浸す。おれも試してみたがたまらなく気持ちがいい。これは絶対に流行ると思うね。ただ一般家庭への普及は難しいだろう。いかんせんコストがかかり過ぎる。いま厚生労働省総務省が旗振りをして普及を推進してるんだけど、どっちも利権化したくてたまらないように見えるのが、ね。バスタブの補助金vs水道代の補助金。笑うしかない。国民の声を問うパブリックコメントならぬ「バブコメ」ってなんだよ炭酸ガスでお馴染みの花王のバブじゃねえか!

もしかしたらあなたはおれの子孫であるかもしれない。1000年後、1代を30年として約33世代。2の33乗分の1。誰かが「肉体は遺伝子の乗り物にすぎない」って言ってたけど、1000年もあれば塩基配列なんて発散してしまう気がする。まあそれ以前に僕たちの生は短くて、せいぜい自分の人生なんかを考えるのに精一杯なんだけどね。1000年後でも人間は人生について悩んでるはず。少なくともおれの遺伝子が誤差レベルであれ含まれているのであれば。

昔の作家に夏目漱石ってのがいてね。彼は翻訳もしていたのだけど、英語の「I love you」を「月が綺麗ですね」って訳した、ってウワサが広がった。意味がわかる? 直接「愛しています」って言うんじゃなく、月を見たときの綺麗だな、って感動を(他の誰かではなくあなたと)共有したいって気持ち、それこそが「love」であろう、って。
本当は彼がそんな翻訳をしたという事実はないんだ。でも多くの日本人がこれを「日本ならではの情緒である」と気に入ってしまって、ミームとして生き続けている。僕らの時代のSNSを検索してみればわかるんだけど、数限りない「月が綺麗ですね」が飛び交っている。それはさみしい魂の叫びだったり、メンヘラの釣り文句だったりする。まああまり幸せに満ちたことばではないよ、幸せを探すためのことばだからね。
それで、その上で、おれはあなたが見上げる月がが綺麗であればいいな、と思うのだ。きみはおれの子孫かもしれない、けど1000年なんて圧倒的なディスコミュニケーションを産むに十分な時間だ。わかりあえることなど決してないだろう。でも、だからこそ、おずおずと手を伸ばしてみたい。もし月が綺麗だったら、きみだってこの手を掴みやすいだろうって思う。思うって言うか、「そうであれば」って祈りに近い気持ちで。

……そろそろ筆を置くにしよう。1000年後の子孫であるかもしれないきみが見上げる月が美しくありますように。最後に付け加えとくとおれは独り身で、きみの先祖である可能性は限りなくゼロに近い。「2の33乗分の1」なんて殆どゼロみてえなもんじゃねーかキニスンナ! 細けえことはイインダヨ!

1000年後に宛てた手紙、という体でアカシックレコードを汚す文章を書いてみた。