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金属片やむなし

君の影を踏みに。

What you preach

「女言葉」ってあるだろう。
映画翻訳の台詞などで使われがちな、語尾が「〜だわ」「〜よね」「〜なのよ」みたいになるアレだ。「そんな言葉遣いの女なんて見たことがない」などと揶揄されることが多い。
戦後山の手のお嬢様言葉が元になっている、という研究もあるようだ。ルーツはさておき、なぜ現代においてこれが淘汰されないのか。戦後71年、さまざまな若者言葉が生まれては消えていった。それなのになぜ「女言葉」はアップデートされず、固定化されているのか。

若者言葉というのは「符丁」である。いつの世の若者たちも、「自分たちの会話にウザいおっさんが入ってこれないように」新しい言葉を生み出してきた。こうして言葉は代謝していく。
そのサイクルは中学・高校の在学期間と等しい3年間であるように思う(申し訳ないが根拠はない)。これは大人のサイクルからするとかなり早い。早すぎる。高校生にとって大学生は「おじさん」「おばさん」であり、大学生にとって29歳は「おじさん」「おばさん」なのだ。

働き盛りと言われる年齢の人間にとって、このサイクルをキャッチアップすることは難しい。毎年まいとし発表される新語・流行語大賞(このごろ話題の鳥越氏が審査員だったりしますね)。「りょ」って今でもまだ使ってる人いる? これ2015年、去年の言葉だぜ?

そんで「女言葉」。これは「今の若いコはそんな言葉遣いしない」って違和感を避けるための「お約束」なんじゃねえかな、と思うのだ。とりあえず女性が喋ってますよ、という記号化された様式。言うならばビジネスマナー的なもの。リアリティを犠牲にしても、ジェネレーションギャップを埋めるための言葉なんじゃねえかなあ、と。

まあ素人の思いつきに過ぎないんで、異論反論はおおいに受け付けましてよ。みなさまからの熱い反論、待ってるわ。

※ 「男言葉」という概念は未だ普遍的ではないと思うが、これもまた意識されるべきであろう。