金属片やむなし

君の影を踏みに。

瞳孔が横に開くアレ

都内某所を歩いていたら「メェー」と聞こえてきた。おれは「ヤギの泣き真似をしている奇人がいますね」と思い、声の方向に目を向けると本物のヤギがいてすこし混乱してしまった。
おれの日常では生のヤギを見ることが少ない。せいぜい動物園に行ったときに見るくらいで、あとはテレビや動画サイトくらいのものだ。生じゃないものでもいいのなら、たまに冷凍のヤギ肉にはお目にかかる。
そういう生活を続けていると、ヤギの声がしたときに「ヤギだ!」ではなく「ヤギの声真似をしてる奇人がいる!」という認知になってしまうのだなぁ、と。だってヤギよりも奇人に遭遇する確率のほうが(体感的に)ずっと高いのだ。

ヤギといえばどこぞの自治体が除草のために導入した、というニュースを目にしたことがある。もしおれが青々と草の生い茂る土地で「メェー」と聞いたら、「ヤギがいる!」と思うだろうか。「ヤギの声真似をしている奇人がいる!」と思うだろうか。

きっと「発声練習してる劇団員がいる」と思うのだろう。それとも「このあたりには昔、ヤギの屠畜場があってね……」とホラ話を紡ぎ始めるだろうか。いずれにせよおれの意識の中にヤギはいない。ヤギ不在。だからと言っておれの生活にヤギが不足してるという意識もない。ことヤギに関して言うなら、わりと満たされている。おれはこれ以上のヤギを望まない。おれとヤギはいい距離感を保っているのではないだろうか。