金属片やむなし

君の影を踏みに。

おいる。

某有名ラーメン店のおはなし。
たまたま近くを通りかかったところ、行列が1人しかいなかった。これは幸いと並んでみるが、何かおかしい。なぜか裏口のようなところに向かって並んでいる。店の正面入口は閉じられたままだ。この店には昔いちどだけ来たことがあるのだが、そのときはこんなじゃなかったはずだ。

とにかくわからないので、前の人のマネをすることにする。店内からポツリポツリと客が出てくるのだが、前の人は入店しようとしない。不思議に思いながらスマホをこする。出てこいスマホの精。あ、またひとり出てきた。だがやはり店に入ろうとはしない。スマホをこする。出てこいスマホの精。

しばらくすると店の中から声がかかり、前の人に続いて入店する。やはり裏口だ。というか厨房の中を通って客席に至る。おれバックステージパス持ってないんだけどいいんですか。

老舗である。
おそらく正面入口は建物の老朽化などの理由で閉じられているのだろう。この店の入店ハードルは日本有数の高さを誇る。正面入口が締め切りで、店外から中の様子は伺えない。裏に回って通用口のドアを開けなければならないのだが、出入りの業者でもない限りそんなことする人はいない。おれだって前の人がいなかったらドアノブに手をかけさえせずに入店を見送ったことだろう。

老夫婦が二人で切り盛りしているのだが、非常に丁寧な仕事っぷりである。あるべきものがあるべきところにあり、あるべきでないものは何ひとつない。そして長年の経験に裏打ちされた、シンプルで無駄のない動き。なんかもうこれを眺めているだけで満足感がある。

昼間っからビールを飲む者たちのために鉄鍋が火にかけられ、餃子が焼かれる。焼き始めは店主が動き、焼き上がりは奥さんが確認する。息の合ったコンビネーション。店内に客は十数人、頼む人が少なかったのか、焼かれる餃子は2人前だ。餃子が焼ける前にラーメンを茹で始めるようなことはしない。というか焼き上がったのになぜか火を点けっぱなしで鉄鍋からモクモクと煙の立ち上るさまもまたいとをかし。
昼間っからビールを飲む者たちのために、店主がチャーシューを切り始める。丁寧に盛り付けられたそれは芸術品さながら、これもまた1人前である。これが供される前に麺を茹で始めるようなことはしない。それがこの店の秩序である。

昼間っからビールを飲む者たちのための作業が終わると、麺を茹で始める。職人はいつだって真剣である。完璧な茹で上がりを目で、指先で確かめる。誰かが持ち帰りメンマを注文する。つけ麺用の麺はザルに上げられる。これを冷水で締めるのは奥さんの役割だ。しかし同時に持ち帰りメンマを包むのもまた彼女の仕事なのである。各々が自分の仕事をきちんとこなす、この店の秩序だ。麺がザルに上げられたまま数分間放置されていたとしても、メンマを雑に包むことは許されない。ちゃんと、ちゃんとやるのだ。店主はスープの調合に余念がない。おれはつけ麺ではなくラーメンを頼み、それはすでに供されているので問題ない。

ちょっと揶揄してるような書き方になってしまったけど、本当にこれでいいのだと思う。
確かに回転こそ悪いかもしれないが、それが彼らの生活するリズムなのだ。

自分ができることをやる、それはとても大事なことだ。生活を続けてくのは尊い。そして人生は続くのだ。