金属片やむなし

君の影を踏みに。

ペペロンチーノ戦争

ブログを始めたい、というので社内レクチャーをした。
自分のブログがこの体たらくなのに他人さまに教えるなぞおこがましい、と言われれば全く仰る通り、ただまあ通り一遍のことならわかっているつもりだ。ログインのしかた、エントリの書きかた、画像の貼りかたといった機能面から、炎上しないための書きかた、など。

炎上を避けられないトピックがある。政治や宗教、差別問題や嫌煙などはどうやっても燃える。ネット上にこれらの話題を投下するのは、ピラニアの棲む内水面に血液を垂らすに等しい。理性は本能の前に無力だ。マウントを取りたがるのは本能に他ならぬ。

センシティブな話題はまだある。
たとえばペペロンチーノのレシピ。これは絶対に書いてはならぬ。ペペロンチーノ原理主義者はチリとガーリックとオイル以外の材料を入れる者にドンドルマのように粘っこい呪詛を吐き、乳化原理主義者は茹で汁を入れないレシピを「焼きそばではないか!」と糾弾する。乳化原理主義過激派は「茹で汁に拘泥する非科学的ペペロンチーノ原理主義者を駆逐せよ!」とフライパンに小麦粉を溶いた水を注ぎながら声を荒げ、美味けりゃどうでもいいじゃん派は「納豆入れると美味いよ!」と斜め上からの絨毯爆撃をする。

もはやカオティックな戦争である。伝統や美学に科学、もっと言うといずれの感覚が優れているか、というアイデンティティのぶつかりあいになる。人は誰しも譲れないものを抱え込んでおり、それが脅かされることに本能的な恐怖を覚えるのだ。

「正しいこと」を書いてはならぬ。「正義」で何かを断じてはならぬ。
それはいずれ折れてしまうことが約束された自滅の道だ。おれもきみも一分の隙さえなく「正しく」はあれない。グレーゾーンに身を置くしかないのだ。

……ところでカルボナーラに生クリーム入れる奴ってニワカだよね。