金属片やむなし

君の影を踏みに。

黄昏

上野はアメ横の一角に、ケバブ圧の強いエリアがある。

ケバブ圧とは聞きなれないことばだと思うが、まあこういうことだ。
歩いていると中東系の顔立ちをした店員さんが「オニサン、ケバブどう? オイシイよ!」と勧めてくるのだ。「結構です」と断っても、「食べるデショ? ケバブ! オイシイ!」などとグイグイくる。「いやいやいや、」「ドシテ食べナイノー!?」正直この問いには「おなかすいてないから」以上の理由が求められている気がする。今度「だってちゃんとハラル認証とってないでしょ?」くらいは言ってみようか。

そしてこの客引き、ひとりだけではない。当該エリアには4軒ほどのケバブ屋が密集しており、ひとり目の客引きを振り切ったところで次の刺客が現れるのだ。 「ケバブ! オイシイ! 500エン!」 まだ日本語がおぼつかないようだが、ことばを3つ並べるとだいたいのことは通じる、という好例である。

「ゴウ」「ダマ」「シッダールタ」
これを目にしたあなたの脳内にはひとりの人物が浮かんでいるはずだ。そう、仏教の開祖たるブッダその人である。彼もまた3つのことばを残している。
「天上」「天下」「唯我独尊」
これだけで仏教をざっくり理解した気になれるのだからたいしたものだ(杉並区でも十指に入る雑な仏教理解)。

…ことばは3つだけだがこの客引き、パーソナルスペースが狭いのか妙なプレッシャーがある。上島竜兵がキスする直前くらいの距離感、といえばご理解いただけるだろうか。全く食欲を減退させる例えではあるが。

このようにアメ横ケバブ売りはそれぞれに圧が高い。今でこそ「ノーサンキュー!」と言えるおれだが、14歳のころのおれだったら言われるがままにケバブを食べ続け、食べきれなくなったケバブを両手に抱えこんで「こんなに食べられないよー!」と泣き出していたとおもう。それほどまでのケバブ圧だ。

なぜここまでケバブ圧が高くなったのか。それはやはり過当に密集しているからだろう。人はケバブのみにて生きるにあらず(宗教ネタってこれくらいうっすらでもドキドキしますね!)、ケバブだけでは人の心は埋められないのにケバブアフターケバブ、過当競争でパイの奪い合いになっている。せっかくだから奪い合ってばかりでなくケバブを入れたミートパイでも開発してはいかがか。