金属片やむなし

君の影を踏みに。

Digging my grave

訳あって地方テレビ局のCMを浴びるように見ている(ナショナルクライアントのものを除く)。ローカルCMはキー局のそれと比べて、全国展開しにくい産業のものが多い。もしかしたらこれはグローバルライゼーションの進む世界をサバイブしていくヒントになるのではないか、と。

とりわけ目につくのは土地建物リフォームにリノベーション。このあたりが体感で3割くらい。次いで多いのは冠婚葬祭、まあブライダルとか石材≒墓石に葬儀霊場みたいな。続いてイベント、インフラ、人材、各種学校(大学専門車校諸々)、地銀、宿泊業、小売って感じか。ちゃんと数えてないのでインプレッションだが。

そんで小売りなんだけど、その中でも低くない割合を占めているのが仏具屋。やっぱり宗教ってのはビッグディールだよね、ってハナシなんだけど、そこはフリーダムにあふれる地方CM。孫娘を連れたおじいちゃんが仏具屋の前で「ここに入ればよりどりみどり」って言ってるCMを見て、「供養し放題死に放題」みたいなことを思った。

Twitterに投げるにゃちょっと長い小ネタ。

会社のビル、共用部分のトイレに張り紙。「スケルトン解体工事のため使用禁止」とあった。「スケルトン解体」ってなんだろう、とググったところ

「建物構造体以外の全てを解体し、床・壁・天井・配線・給排水機・吸排気設備などを入居時の状態に戻すこと」 http://kaitai-takumi.com/glossary/3715/

つまり退去時の原状回復のことらしいのだけど、するってえとあのトイレ、誰かが入居してたことになるけど大丈夫か。

Noisy Summer

インテリジェント・デザイン」という考え方がある。これは進化論を認めず、この宇宙や生命のシステムは「偉大なる知性」によってデザインされたものとする説である。
ものすごくざっくり言うと、「ゾウの鼻って長すぎ、っていうか鼻でものを掴むとかありえなくね? 進化したってんなら鼻が伸びかけの動物がいなきゃおかしいじゃん」「それは知性あるなにか(神)がデザインしたからだよ」こうである。

しかしながらこのインテリジェント・デザインはまやかしである。別段おれが否定しなくても「空飛ぶスパゲティ・モンスター教団」などが有効な反論をしているし、コンピュータシミュレーションを見れば生命が進化の過程において多様性を獲得してきたことは腹の底から納得できると思う。まあそこにダメ押しをしておこうかな、と。

……もし神が創造したものであるならば、セミにはボリューム調整つまみがついているはずである。
もしおれが神だったら絶対にボリューム調節できるようにする。背中のあたりにつまみ付けときゃいいだけなんだから簡単だろう。そんなことすらしないってんなら何のための神だ。あいつらミンミンうるさすぎるだろ!

こちらからは以上です

Who Killed Cock Robin

コンデジ」とは何の略か。

正解は「コンパクトデジタルカメラ」である。しかしながらこの略しかたはマズい。なんせ「カメラ」要素がない。それにもう塩銀カメラは主流の座を追われて久しく、「カメラ ≒ デジタルカメラ」となった。実際に「コンパクトデジタルカメラ」を「コンパクトカメラ」と書くこともある。なのに「コンデジ」、この略語から類推できるのは「コンパクトデジタルなんとか」までである。

「ちょっとあの鳥コンデジでとってくれない?」「(コンパクトデジタル?……鳥をとる?……コンパクトデジタル霞網?)ハイわかりました!」ご存知のように霞網による鳥類の狩猟は違法である。たとえコンパクトだろうがデジタルだろうがダメなものはダメなのだ。発覚すれば後手にお縄が回る。

ちなみに霞網のしくみを書いておくと、鳥は足爪を閉じることはできるが、開くことはできない。電線や枝から飛び立つことができるのは、脚を蹴り出した反動によって足爪のロックが外れるためである。霞網はこの反動を相殺してしまうため飛び立つことができなくなる、というものだ。ただしこれはおれの記憶ベースなので事実かどうかは各自確認してほしい。

このように「コンデジ」という略語は逮捕者を生み出す。霞網が違法であると知らなかったカメアシが不幸になる可能性を阻却できない。ベンサムは「最大多数の最大幸福」と説いたが、それは誰かの不幸が誰かの幸福に直結するという話ではない。「幸福」のパイが奪い合いであるというだけだ。……おれ今すげえ適当なこと書いてるなあ。

そんでまあ、無用な「不幸」を回避する策はある。「コンデジ」ではなく、もっと適切な略しかたをするのだ。先に述べた通り、現在のカメラに「デジタル」は不要である。つまり「コン(パクト)カメ(ラ)」とすれば……コンカメ……。

圧倒的な語呂の悪さを前にすると、逮捕者が出るのもしかたがない。おとなしく捕まって、罪を償っていただきたい。
おれは「鶫を殺した罪を償う」ってフレーズにリリカルなものを感じるよ。

What you preach

「女言葉」ってあるだろう。
映画翻訳の台詞などで使われがちな、語尾が「〜だわ」「〜よね」「〜なのよ」みたいになるアレだ。「そんな言葉遣いの女なんて見たことがない」などと揶揄されることが多い。
戦後山の手のお嬢様言葉が元になっている、という研究もあるようだ。ルーツはさておき、なぜ現代においてこれが淘汰されないのか。戦後71年、さまざまな若者言葉が生まれては消えていった。それなのになぜ「女言葉」はアップデートされず、固定化されているのか。

若者言葉というのは「符丁」である。いつの世の若者たちも、「自分たちの会話にウザいおっさんが入ってこれないように」新しい言葉を生み出してきた。こうして言葉は代謝していく。
そのサイクルは中学・高校の在学期間と等しい3年間であるように思う(申し訳ないが根拠はない)。これは大人のサイクルからするとかなり早い。早すぎる。高校生にとって大学生は「おじさん」「おばさん」であり、大学生にとって29歳は「おじさん」「おばさん」なのだ。

働き盛りと言われる年齢の人間にとって、このサイクルをキャッチアップすることは難しい。毎年まいとし発表される新語・流行語大賞(このごろ話題の鳥越氏が審査員だったりしますね)。「りょ」って今でもまだ使ってる人いる? これ2015年、去年の言葉だぜ?

そんで「女言葉」。これは「今の若いコはそんな言葉遣いしない」って違和感を避けるための「お約束」なんじゃねえかな、と思うのだ。とりあえず女性が喋ってますよ、という記号化された様式。言うならばビジネスマナー的なもの。リアリティを犠牲にしても、ジェネレーションギャップを埋めるための言葉なんじゃねえかなあ、と。

まあ素人の思いつきに過ぎないんで、異論反論はおおいに受け付けましてよ。みなさまからの熱い反論、待ってるわ。

※ 「男言葉」という概念は未だ普遍的ではないと思うが、これもまた意識されるべきであろう。

君の名は2

お久しぶりのお目汚しでございます。ポケモンGOに忙殺されておりブログの更新ができませんでした(真顔)。
気がつけばポケGOのアップデートでドードーの出現頻度がぐっと減り、リリース当初の「これってポケモンGOじゃなくてドードーGOなんじゃね?」という状態で思いついた「ドードー巡り」というダジャレすら披露できぬままレベル24になりました。1日23キロ歩き倒したりした結果です。さすがに翌日は死んでましたが。

ニャースってそんなにレアではないけど、見つけると嬉しくなりますよね。やっぱメジャー感がある。リアル街なかで猫を見つけるのと同じくらいの遭遇頻度。

それで、流れるように強引に話題を振るわけなんですが、今日は猫を「ニャンちゃん」と呼ばないでいただきたい、というお話をします。
これって以前から言ってる猫グッズ苦手問題と通じるところがあるのですが、おれにとって猫って「肉食獣」なんですよ。しなやかで美しい、気高い生きものなんです。いやまあ実際にはそれなりにドジだったりすごく甘えてきたりもするし、そういうのがすげえかわいかったりもするんですが、それだけじゃねえだろ、と。
言うならばツンデレからツンを抜くなよ、と。猫の写真に吹き出しつけて「あったかいニャン♪」とかピンクの丸ゴシックで勝手なセリフを言わせるな、猫を「ニャンちゃん」って呼ぶのはそういうことだぜ? と。

なんだよ「ニャンちゃん」って。「鳴き声+ちゃん」って頭おかしくね? 同様に「ワンちゃん」ってのがあるがそれが許されるのは昭和のホームラン王、王貞治だけだ。いやまあ犬ってそういうとこあるけど、あるけどさあ。
じゃあライオン。ライオンを「ガオーちゃん」って呼ぶのか。2016年現在「ガオー」が許されるのはシン・ゴジラ石原さとみだけだろう。トラはどうする? 区別できんのか?
あまり知られていないが、キリンの鳴き声は「モー」だ。偶蹄類の定めか。100歩譲ってキリンを「モーちゃん」と呼ぶとしよう、じゃあ牛はどうなる?
「ブーちゃん」。これは明らかに豚ではなく人間を指す名前だ。っていうか家畜に名前を付けてはいけないってマンガ「銀の匙」でさんざんやってただろ! 「メーちゃん」。羊だ。これを許容すると「となりのトトロ」でサツキの妹は羊ということになってしまう。確かに劇中でおばあが「メイちゅわ〜ん」って言ってたの、羊の鳴き声っぽいビブラートだったけど。

このように、「鳴き声+ちゃん」呼びは不都合なことが多い。最後に駄目押しをしておこう。

「味の素のクックドゥから、『クックドゥードゥルドゥーちゃんの唐揚げ甘酢あんかけ』が新発売!」

欧米か。

ゾゾーム。

酷い虐待を受けた。
自己の排泄物を提出させられ、腕に針を刺して血液を採取され、胸部に放射線を照射され、身体中に電極を貼られた。アルカリ土類金属と発泡剤を無理やり喉に流し込まれ、言われるがままに様々な体位をとるよう強要され、肋骨をこれでもかと圧迫された挙句に下剤を投与された。自ら服をはだけるよう指示され、喉や脇腹を触られた。おれは他人から触られるのがとても苦手である。

すこし大袈裟になってしまったが、健康診断ってホントにこう、人間性を否定されるというかなんというか。受診したのが健康診断に特化したクリニックなので、実に効率よく考えられていて、流れ作業チックというかベルトコンベアに乗せられた鶏肉が加工されていく気分ってこんな感じ? とか気分が鬱蒼としていく。

で、ね。
そこで身長も測定するわけです。結果は169.8センチ。このどうにも扱いづらい数字よ。

誰かから身長を訊かれたとする。この場合おれはどう答えるべきなのか。
「169.8センチです」
細けえな! ミリ単位とか知らねえし!
「170です」
いやお前170ないじゃん! セコくサバ読んでんじゃねえよ!
「169です」
いや169.8を169とか、四捨五入って知ってる?
「四捨五入して170です」
あー、166とかそんな感じ?

非常にめんどくさい。
たぶん170.2センチの人は「170です」でなんの問題もないのだ。170を中央値として、2ミリオーバーは許容されて2ミリアンダーが許されないというのはおかしくないか。走り高跳びみたいに、クリアしたか否かを基準にするから妙なことになるのだ。この2ミリの攻防よ!

146センチとかなり小柄の女性知り合いであった。彼女は150センチと公称していたので、「さすがに4センチってサバ読みすぎじゃね?」と問うと、「いいんだよ。普通の人には150センチ以下なんて全部いっしょに見えるんだから」と実に清々しい答えが返ってきて、かっこいいなこいつ、と思った記憶がある。