金属片やむなし

君の影を踏みに。

忘却の彼方に

「あ、これブログのネタにしよう」と思いついてボンヤリしてるうちに忘れてしまうことがある、あるというか良くある、ってか9割がたは忘れてしまう。たまにメモしたりもするんだけど、おれのメモは「一斗缶 トマトをぶつける」など謎に満ちていて何が言いたいのかわからない。
おれきっとアレだな、金銀財宝を隠して宝の地図書いてわかんなくなるタイプだな。っていうかドングリ埋めた場所わすれて結果的に森を育てるタイプか。

おっこれ使えるぞ。「わたしよくリスっぽいって言われるんですー」とかさ、憑依系かわいく思われたい女子どうぞお使いください。まあその実ただの健忘症なんだけどな。

頬袋にめいっぱいのやさしさを詰めて。

おいる。

某有名ラーメン店のおはなし。
たまたま近くを通りかかったところ、行列が1人しかいなかった。これは幸いと並んでみるが、何かおかしい。なぜか裏口のようなところに向かって並んでいる。店の正面入口は閉じられたままだ。この店には昔いちどだけ来たことがあるのだが、そのときはこんなじゃなかったはずだ。

とにかくわからないので、前の人のマネをすることにする。店内からポツリポツリと客が出てくるのだが、前の人は入店しようとしない。不思議に思いながらスマホをこする。出てこいスマホの精。あ、またひとり出てきた。だがやはり店に入ろうとはしない。スマホをこする。出てこいスマホの精。

しばらくすると店の中から声がかかり、前の人に続いて入店する。やはり裏口だ。というか厨房の中を通って客席に至る。おれバックステージパス持ってないんだけどいいんですか。

老舗である。
おそらく正面入口は建物の老朽化などの理由で閉じられているのだろう。この店の入店ハードルは日本有数の高さを誇る。正面入口が締め切りで、店外から中の様子は伺えない。裏に回って通用口のドアを開けなければならないのだが、出入りの業者でもない限りそんなことする人はいない。おれだって前の人がいなかったらドアノブに手をかけさえせずに入店を見送ったことだろう。

老夫婦が二人で切り盛りしているのだが、非常に丁寧な仕事っぷりである。あるべきものがあるべきところにあり、あるべきでないものは何ひとつない。そして長年の経験に裏打ちされた、シンプルで無駄のない動き。なんかもうこれを眺めているだけで満足感がある。

昼間っからビールを飲む者たちのために鉄鍋が火にかけられ、餃子が焼かれる。焼き始めは店主が動き、焼き上がりは奥さんが確認する。息の合ったコンビネーション。店内に客は十数人、頼む人が少なかったのか、焼かれる餃子は2人前だ。餃子が焼ける前にラーメンを茹で始めるようなことはしない。というか焼き上がったのになぜか火を点けっぱなしで鉄鍋からモクモクと煙の立ち上るさまもまたいとをかし。
昼間っからビールを飲む者たちのために、店主がチャーシューを切り始める。丁寧に盛り付けられたそれは芸術品さながら、これもまた1人前である。これが供される前に麺を茹で始めるようなことはしない。それがこの店の秩序である。

昼間っからビールを飲む者たちのための作業が終わると、麺を茹で始める。職人はいつだって真剣である。完璧な茹で上がりを目で、指先で確かめる。誰かが持ち帰りメンマを注文する。つけ麺用の麺はザルに上げられる。これを冷水で締めるのは奥さんの役割だ。しかし同時に持ち帰りメンマを包むのもまた彼女の仕事なのである。各々が自分の仕事をきちんとこなす、この店の秩序だ。麺がザルに上げられたまま数分間放置されていたとしても、メンマを雑に包むことは許されない。ちゃんと、ちゃんとやるのだ。店主はスープの調合に余念がない。おれはつけ麺ではなくラーメンを頼み、それはすでに供されているので問題ない。

ちょっと揶揄してるような書き方になってしまったけど、本当にこれでいいのだと思う。
確かに回転こそ悪いかもしれないが、それが彼らの生活するリズムなのだ。

自分ができることをやる、それはとても大事なことだ。生活を続けてくのは尊い。そして人生は続くのだ。

süsser

チーズケーキを眺めていたら、世の中の全ての食べ物はスイーツにできるのではないか、と思い至った。

チーズはうまい。ワインにも合うのはもちろんのこと、カマンベールと黒ビールの組み合わせは無策な婚姻関係よりよほど芳醇である。タンパク酸と脂質、発酵によるアミノ酸。心震わすに必要十分な要素。赤ワインと合わせると、チーズが美味いのかワインが美味いのかその境い目が茫洋としてくる。

それをなんでケーキにしようと思った。
おかしいだろ。酒の肴だぞ。言うならイカの塩辛をケーキにするようなもんだぞ。

とは言え日本はあんこの国である。チリビーンズをソウルフードとする人たちから見たら甘い豆というのは論外であろう。だって豆だぞ? 茹でて潰して漉して晒して、たっぷりの砂糖で練っストップ! クレイジージャパニーズ!
もちろん甘くない豆もある。納豆がその代表であろう。茹でた豆を藁づとで包んで発酵させる、ねっとりと糸を引く豆に醤油をたらしてごはんのお供に、っておかしいだろ。普通に考えて糸引いてるのってアウトだろ。100歩譲って日本人的にはギリギリだとしても、ギリギリアウトのほうだよ! セーフにすんな!

ちなみに今の納豆が生まれる前に「納豆」と呼ばれていたのが甘納豆である。甘くない納豆と区別するために「甘納豆」と呼ばれるようになった。ただの「フィルム」がカラーフィルムの登場によって「白黒フィルム」と呼ばれるようになったように。よしこれで今日の嘘ノルマ達成な。

このように大概のものはスイーツにできる。全然説明した気がしないけど「このように」で納得してほしい。

っつーかさ、「桜でんぶ」って魚でできてるじゃん。魚スイーツ。嘘じゃないぞホントだぞ。日本には耳の日にちらし寿司を食べるという奇習があるが、あれに乗ってるピンクのやつ。食べないと2週間耳が聞こえなくなるあれ。桜でんぶ。まあ食べても1週間は聞こえなくなるんだけど。っていうかあれって桜っていうより桃色じゃね? 桃の節句だし。桃でんぶ。そっちの臀部じゃねえよ!

ブラックジョークが得意だったんですが意識して書かないようにした結果、下ネタの割合が飛躍的に上がってしまいました。どうしたらいいでしょう?(杉並区・一般男性)

昔は下ネタ書かないようにしてたんだけどなあ。

わりと変則的なキーボードの使い方をしている。鍵盤のほうではなくて文字入力の話だ。鍵盤はしばらく練習したことがあるが無理だった。おれの脳はあれを弾けるようにできていない。高校のとき体育館の倉庫でピアノを弾いていたら「なんの曲?」と訊かれたが、適当に白鍵だけ叩いていただけだ。あのときは曖昧に笑ってやりすごしたが、今なら「無名の作曲家がインターネットの発展を予知して作った曲なんだ」などとわけのわからないことを言うとおもう。っていうかなんで鍵盤の話をしているのか。

会社のPCにはUSBキーボードを2枚挿している。これは右手用と左手用で、間隔を開けて配置する。エルゴノミクス設計のセパレートキーボードは高価だが、そのへんに転がっている980円のUSBキーボードをつなぐだけで済む。縮こまらなくていいので肉体的な負担がかなり減る。
ちなみにこれはウチの社長が諸事情で前傾姿勢ができなくなった際に「じゃあキーボード2枚あればいいんじゃね?」と思いついた。「ぐるぐるさん、これすっげえ楽だ!」というので自分でもやってみた次第。

ブログを書くのにiPhoneBlueToothのキーボードを使っているのだが、その位置関係が特殊だと思っている。
一般的な配置だと「モニタ_キーボード_おれ」なのだろうけど、これを「キーボード_モニタ(iPhone)_おれ」と置換した。具体的に言うとテーブルの奥にキーボード、手前にiPhoneを置く。モバイルデバイスは画面が小さいのでこっちのほうがすこぶる捗る。
チマチマとiPhoneの画面を眺めることになるのだが、文章を書くときの没入感が高い。両手でiPhoneを包み込む格好になるので他人から見られにくいという利点もある。なんせ見られて恥ずかしい文章しか書かないからな!(そんなもん読まされてるお前ら申し訳ございません)

なんか普通にライフハック記事になってしまった。たまにはこんなのもいいだろう。

影踏み

幼稚園で、最後の2人になるまでスキップができなかった。

運動神経が悪いと言われればそれまでなのだけど、当時のおれが受けた指導は「右足と左足で2回づつ蹴る」というものだった。目の前でやって見せて「カンタンでしょ?」と言われても困る。

あえてググらずに書くが、もしおれがスキップを指導するならまずシャッフルビートから教える。タッタタッタタッタ(クララが)タッタと歌わせ、次は手でリズムを刻ませる。それができたら今度は足で。あとはほっといてもできるようになるだろう。

中学のとき、ちょっとだけ水泳教室に通っていた。まず泳ぎを見て、「おう、けっこう速いな。Aクラスだ」と一番上のグループに回された。そこでの練習は50メートル泳いで15秒の休憩、を10本繰り返すというもので、指導は一切なかった。おれはクロールの泳ぎ方を知らなかったので、50メートルを力任せに泳ぎ切るともうクタクタになっていた。なんでみんな泳ぎ続けられるのだろう、と不思議だった。クロールがラクな泳ぎ方であることを知ったのは大人になってモノの本を読んでからだ。

決して身体を動かすのが嫌いなのではない。スキーは大人が板を担いで逃げ出すようなコースをヒャッホウ! と滑りまくっていたし、卓球もわりかし得意だった。大人になってから始めたフライキャスティングも苦労はしたものの(粗悪な道具を使っていたため遠回りしてしまった)他人に教えられるくらいにはなった。

とは言え今から(昔苦手だった)野球サッカーバレーにバスケット、と言われるとうーん、ちゃんとやればできるようにはなるんだろうけど、やりたくはないなあ、といった按配。
……ああ、おれ身体を動かすのが嫌いなんじゃなくて団体でやるスポーツが苦手なんだ。自分がミスしたときに他人から向けられる悪意が嫌なんだ。自分のエラーで甲子園を逃した野球部員が同窓会に出られなくなる、ってのをものすごくちっちゃくした心理。ちょっと気付くのおそかったな、うん。

でもやっぱ走るのはきらいだ。せめて障害物を置くくらいのゲーム性はほしい。リアルスーパーマリオとまではいかなくとも。

less than

阿佐ヶ谷に「ミート屋」という店がある。わりと行列の出来がちな人気店なのだが、看板には「ミートパスタ」とあり、提供しているのはミートソースのスパゲティだ。

うん、難癖をつけるわけではないのだけど、「ミート屋」って直訳したら「肉屋」だからね。ちょっと略しすぎなんじゃね?

世の中には略してはいけないことばというものがある。
過去に母が「ステンの食器」と言ったことがある。いやいやいやいや、それじゃ「錆びた食器」になってしまいます母さま。ステンレスの「レス」は「ない」ことを示すんです。だからこれを取っちゃうと意味が真逆になってしまいます母上さま。

そう、「レス」だけは決して略してはいけないのだ。
「ミラーレス一眼」ってあるだろう。あれは一眼レフから反射鏡を取り払ったからミラーレスと呼ばれるのであり、「ミラー一眼」(ややこしい字面だなあ!)と略してしまうと本来の一眼レフを示すどころか「頭痛が痛い」状態になってしまうのだ。

繰り返す。「レス」を略してはいけない。
レスリング」から「レス」を略すとどうなるか。リングが残る。プロレスはリングを使うが、アマレスでは使われない。そもそも「アマレス」から「レス」を抜くとただの素人が呆然と立ち尽くすことになる。グレコローマン級の素人ってなんですか。

「レスポンス」から「レス」を抜いてみる。「ポンス」とはポルトガル語で柑橘類の果汁を示す。「ポン酢」の元になったことばだ。

……ライブは佳境に差し掛かり、コールアンドレスポンスの時間を迎える。

「盛り上がっていきましょう!」
(ポン酢をトットット)
「Say Ho!」
(トットット)
「Say Ho! Ho!」
(トットット)

「……ありがとうございました! ザ鍋奉行ズのみなさんでしたー!」

ね? 「レス」を略すとこんなに悲惨なことになるんですよ。それにしても「ザ鍋奉行ズ」ってアマチュアの企画バンドが高確率で付けてそうな名前だな。

今いちど確認しておく。「セックスレス」から「レス」を抜いたら「セックス」ですよセックス! 意地でも伏せ字にしねえからな!

レオパレス」の「レス」略すと「壁ドン」の意味が変わるんですって。

天気も良いのでひとつここは隣りの駅まで歩いてやろう、と街道に出たところ寒風にびょう、と吹かれ骨まで腐らすかのような寒さ、これはかなわん、アーケードと建物で囲まれた商店街を歩くのとは訳がちがう、ひたすら寒い、ただでさえこのごろはずいぶんと寒さに弱くなっているのに、ああもう、文明とは偉大だ、建物と暖房を生み出した人間ばんざい、というかウサギでさえ穴を掘って暖を取る、じゃあおれも穴を掘ればいいじゃない、パンがないなら穴を掘るのよ、と目の前に広がるアスファルトで舗装された地面、これでは掘れぬ、アスファルトで地面を覆い尽くす人間文明の罪深さとかもうどうでもいいので早く暖かい部屋に入りたい、地球は寒すぎるのだ、ああ早く暖かい部屋の中に戻りたい、

……そうか、これが胎内回帰願望というものか、と思い至ったところで理性が金切り声をあげる。なにが胎内回帰願望だ。さすがに寒すぎやしないか。だからさっきから寒いと言っているではないか。おれはおれの寒さで死ぬことができるのである。

マダガスカルテッポウナメクジというナメクジは、特定の地衣類を偏食することで神経毒となる物質を体内に蓄積していく。ほかに身を守る術を持たない彼らは、毒を取り込むことで捕食されるリスクを軽減するのだ。
生まれたばかりのマダガスカルテッポウナメクジは毒を十分に蓄えていないため、カエルなどの天敵に狙われやすい。そこで彼らは他の(無毒の)ナメクジの卵塊を見つけると、その中心に卵を産み付ける。ある程度捕食されることを前提としたリスクヘッジである。
そして十分に毒を蓄え、成長したマダガスカルテッポウナメクジはどうなるか。己の毒に耐えきれなくなり死ぬのである。

おれもまたマダガスカルテッポウナメクジのように己の寒さに耐えきれず死ぬのだ。立ったまま凍えて死ぬのである。ときおり街なかで人間のカタチをしたモニュメントを見かけるだろう、彼らもまた己の寒さに死んだ人間である。たまに街なかでモニュメントと見紛うばかりの動きが遅い老人を見かけるが、あれも凍りかけだ。人は誰しもいつしかは凍る。それが人間のさだめなのだ。

ちなみにマダガスカルテッポウナメクジなんていないからな。ググっても無駄だぞ。